これはたぶん毒のようなものだ、あるいは自分の中で消化しきれなかった嘔吐物。だから読む必要は無い、だけども書いておく必要があった、頭の中から吐き出す必要が私にはあった。
感想が反応があまりにも無くて筆を折ったという人がいた、「好きだった」という後悔と「気持ち分かる」という同情と「承認欲求の為にかいてるんですか」という批判とか……。私が思うのは同情が一番近いだろうか。
承認欲求の何が悪いというのだろうか、褒められたい認められたい、そんな理由でものを作ったってよいではないですか。まあ特定個人に向かって「感想ください」と迫るのはその人との仲にもよるのだろうけど、不特定多数に向けて例えばツイッターなどで「感想ください」と発言するのは何の問題もないはずだ。そしてソレに反応するもしないも見た人の自由、この時に何の反応もしなかったのなら後に「感想無いのでやめます」と言われた時に慌てて「あなたの作品が好きでした」なんて送るのはズルいなぁと僕は思う。
覚えがある、思い出すのだ、「やめる」と言ったわけではなかったが。毎日ではないが2日や3日それなりの頻度で絵を上げ続けていた、何らかの反応をするには少々ハードルが高い場所ではあったとも思う。それでも周囲は反応を貰えているのだ、だけども私には何も無い、周囲は日々の交流の賜物、あるいは圧倒的な画力によるものであったのではないかと思う。その当時その場にいて、そんな理由に私は納得できるわけもなく、勝手に疲れて勝手にイヤになってソコで描くのをやめた。数か月経過して確認したい絵があったので再びソコを訪れた、コメントが付いていた「好きな絵です見てました、気が向いたらまた描いてくれると嬉しいです」そんな内容だったと思う、ソレがソコで初めて貰ったコメントだった。私は「ありがとうございます、久しぶりなので手こずりそうですがまたボチボチ描いてみますね」なんて返したと思う。内心は「遅い、今更?」とか「描き続けてる間は何も言ってくれないんだな」とかそんな感じでした、返した言葉なんて嘘っぱちの建前だ。その人がそのあと再び、少しだけ再開した投稿を見てくれたのかも分からない。
何か感情が動いたら、ソレを伝えてもらえたら私は嬉しいと思う。無論これを読んでいるアナタに私にそこまでしてやるような義務なんて一切無いのだから、伝えるも伝えないも自由なんですよね。ただもし万が一にも私が「感想来ないのでやめます」と言った時になってから慌てたように「今まで見てました、好きでした」なんて言うならば、嬉しいなんて感情が湧く訳も無く、きっと私は「なんで今更……」と落胆するでしょうね。
私に、あるいは今見ている作品の作者にそこまでするような価値が無いと思うならそれでいいと思う。でもそうするならば「やめる」と言った時も黙っていてほしい。ここを逃したら一生伝えることができなくなると焦る気持ちが分からないわけではないけれど、その時になってからじゃあどんなに褒めちぎられたって「今更」だし、素直に真っ直ぐ喜ぶ事はもうできない時だろうから。
繰り返すが、これは毒だ、まとまりもない、ちゃんと自分の感情を正しく書けたかも分からない、脳みそから垂れ出たヘドロのようなものだ。

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