13年11月、2年前の13年の11月。
私は私がダメじゃないことを証明したくて、全力でかかって、
その全力をもって、私は私がダメなことを証明してしまった、
全力で。全力の反動を受けてへし折れたのだろう。
その時たまたま全力で助走をつけてしまったようなもので、
いやたまたまというか逆切れしてなのですが。
まあともかく、私がダメじゃないことを証明しようとして、
私がダメだという事を証明してしまうのは規模こそ違えど、よくあることでもあって、
例えるなら、私は壁を殴っている、いつか壊せると信じて壁を殴り続けている、
コツコツと殴る手は痛い。いつもだ、それはいつもの事だ、
だけどあの時頭に血が上った私は全力で壁を殴りつけてしまったのだ。
それが壊しようの無いコンクリートの壁だとも知らずに、そして私はペキリと折れた。
壊せると、いつか壊せると信じ込んでいた壁は木の板ではなくコンクリート製でした。
それを知ってしまったのだ。すると壁を殴り続けることに意味はあるのか、
意義はあるのかと思う。だってそれ殴り続けて壊せるようなものじゃないでしょ?
コンクリート製の壁というのは例え話でしかないのだけど、
2年前のあの出来事はまさに、コンクリートと知らずに全力で突っ込んで自滅した、
と言う他に無いほどに愚かなものだったと思う。
私は身の程知らずだと思い知らされた、現実が見えてなかったと思い知らされた。
頑張ることが愚かだなんて、そんな風に思いたくはないけれど。
私どうしたかったの? 私はどうすれば助かったの?
あの日壊れた精神はどうやったら直せるの?
何が壊れたの? 無くしたの? 切り捨てたの?
私ね、信じてたんですよ。大丈夫、次はきっと大丈夫だって、
心がへし折れるまで、自尊心が砕け散るまで、それまで信じてたんです。
この目標はそんなに高望みなんかじゃないって、頑張れば届くんだって。
信じて信じて、何度も何度も、ダメだって、無言の否定を繰り返し繰り返し、
評価するに値しないんだって、私の絵は。
それでどんどん磨り減って磨り減って、私最初からひん曲がってたんじゃないんだよ、
最初は信じてたんだよ。世間が何もしない世間が私をひん曲げていったのだ。
何も言わず、何も無いように、私の存在などどうでもいい空気以下のいなくなろうが何の影響もなく、
いてもなんの影響もなく、何もないのだ。何も無いがあったのだ。
あの時に、少しでも私の事を認めてくれる人がいたなら、アタシは死なずにすんだのかなぁ。
何か変わっただろうか、良い方向に。分からないもう手遅れだもの。考えるだけ無駄。
たらればたられば。だけどここまでひん曲がらなかったんじゃないかなって、思うけど。
1人じゃ足りなかったかなぁ。
ただの日記

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