それではまた、200年ほどしましたら。

以下というか、冒頭もではあるのですけど、西洋占星術交じりな話なので適当に流してください。
数日前にふといつかの11月の出来事を思い出し、あぁそういう事もあったなと思えたわけです。それは良い傾向でしょう、怒りを持ち続けるメリットはさほどありません。心は凪いでいた方がいい。
冥王星のやぎ座入りは2008年でしたかね? 私がその時何をしていたかは今まで描いた絵のフォルダ、日付けを見るのが手っ取り早い。とはいえ何かの起点ということもなく、パソコンを手に入れてから数年後、まだ身の程知らずに楽しく絵を描いている時期にみえる。まあ冥王星というのは主に時代に作用する星で、太陽やぎ座とはいえ個人では目立ったことが無くとも不思議ではないかもなと片付けたわけです。そこから今日までの波乱だって人生ってそんなもんだよとも言えるでしょうし。
そんな感じで冥王星がやぎ座に入った時期の自分については考えた事がありましたが、例の11月、あの11月の日のホロスコープを出したことはありませんでした。
それで確認してみましたらまあ見事に出生図の太陽と進行図の冥王星が合(同じ位置)でございました。冥王星は動きが遅いのでその期間ピンポイントで合というよりは前後の数年が合なのですけど、あの出来事は間違いなく私を歪めたし、苦しめたし、そういうことでいいんじゃないでしょうか。
冥王星は破壊と再生を司ります、あの時壊れた私はより良く再生できたでしょうか? あれから迷走しながら砕けながら、少しでも人生を生きやすくしたくてもがいてきました、頑張ったと言っても良いでしょう。だからこの先の人生が少しでも穏やかになってくれたっていいじゃないですかねぇ?
それはそれとして「時間が解決してくれる」などと抜かしやがったヤツの事を許す気はございません、それもまた人間というものです。忘れるのがベストではありますが、ふと思い出すこともありますよね。
解決したのは時間じゃない、時間をかけて私が足掻いて藻掻いて良くあれとのた打ち回ったからじゃないですか、「時間が解決してくれる」じゃなくて「解決には時間を要する」ですよね? 何もせずにいたならば、私はまだ苦しんでいたのではないでしょうか。だが私は努力した、したはずだ、だから完治とまではいなずとも「あぁそういう事もあったな」と思えるようになったんじゃないですか?


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